※鉄道博物館公式Facebookにて2020年4月20日に投稿された内容となります。
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この写真、どの駅のものか お判りでしょうか? 今から115年ほど前に撮影されたものです。
この写真、三河島駅から南千住方を望んだものです。撮影は1905年頃と推測されます。日暮里からわずか一駅の三河島駅周辺に人家が見当たらず、見渡す限り田園風景が広がっています。現在の人家やビルが密集する光景と比べ、そのあまりの変貌ぶりに、思わず息をのみました。
駅構内東端の踏切で線路を横切るのは今の尾竹橋通りです。その先、南千住方向へ向かって2本の線路が延びていることから、一見複線のように見えますが、踏切の先に両渡りの分岐器があること、その先の線路の左右に信号機があることから、この区間が複線ではなく、単線並列区間(単線が2本並んだ状態)であることが分かります。つまり左側の一線が南千住へと向かう常磐線の本線、右側の一線が隅田川貨物駅へ向かう貨物線(隅田川線)ということになります。
ちなみに三河島駅の開業は1905年4月1日で、三河島~南千住間が複線化されるのは1910年12月29日のことなので、この写真はその間に撮影されたものと推定され、駅構内の状況等からみて、おそらくは1905年の三河島駅開業の頃の撮影ではないかと思われます。またまっすぐ伸びる線路の先には、隅田川貨物駅の南側に所在した千住瓦斯製造所のガスタンクがうっすらと見えています。
田端~土浦間が1896年12月25日に開業して以来、約8年が経過した時点では、三河島駅周辺にはこのようなのどかな田園風景が広がっていたことになります。明治期の常磐線沿線には東京都内であっても今では想像もつかないような沿線風景が広がっていました。
企画展の準備の過程で、館で所蔵する常磐線関連の写真や資料について改めて調査し、数多くの写真・資料をチェックしました。その結果をもとにして展示内容を検討し、構成を固めていくのですが、そうした写真・資料類の中には常磐線の歩みを知るうえで大切なもの、常磐線を象徴するものなど、さまざまなものが含まれます。担当もこうした調査の過程を通じて、改めて常磐線への新たな視点、見方を身につけていきました。
この番外編では、担当者が企画展の準備を通じて印象に残った写真、気になった資料をご紹介していきます。