※鉄道博物館公式Facebookにて2020年8月30日に投稿された内容となります。
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今回ご紹介するのは 構内配線が大きく変化した 金町駅のかつての姿です。
金町駅は亀有方で総武本線の新小岩操車場へと向かう貨物線(新金線)が分岐しているため、貨物列車が常磐上り線、下り線のいずれからも進入できるように、島式の下りホームが現在の緩行線ホーム付近にあり、中線2本をはさんで現在の貨物列車用の側線付近に島式の上りホームが配されていました。
写真1は1956年の南口駅舎で、私鉄の近郊駅のような瀟洒(しょうしゃ)な駅舎が築堤を背に建てられていました。駅前には京成バスが停車中で、右側には「金町 吉川 越谷」と記された東武バスのバス停の標識も見られ、ここからバス利用で東武沿線や京成沿線の駅までの路線が設定されていたことが分かります。駅に向かうポニーテール姿の女性や、大きな荷物を背負った年配の女性が駅から出てくるなど、やはりさまざまな人物が写り込んでおり、興味深いところです。
写真2は1959年の上りホームから見た下りホームで、旧型国電を退避させてC62形けん引の特急「はつかり」が通過していきます。「はつかり」の上野発は12:20で、この先青森までの遥かな旅路はまだ始まったばかりです。
写真3は1961年の構内で、気動車化された上り「はつかり」が上りホームを通過するところで、中線にはD51 384号機が停車中、南画の側線には石炭を積んだ無蓋車がわずかに見えています。現在ではホームは緩行線に集約され、南側は快速線が貨物用の側線を何本も抱き込んだ形になっており、構内配線は大幅に変更されていますが、広々とした構内の姿は、あまり変わっていないようにも見えます。
写真4は1969年の北口の様子で、ホームに停まる電車(モハ72形)や、駅前の自動車は様変わりしましたが、駅前の風景自体は今もあまり変化していません。左手のビルに入居している「喫茶田園」は昨年の段階では健在でした。
このように金町駅は、構内配線は大きく変更されていますが、全体の雰囲気にはあまり変化がないように思われます。他の高架化された駅とは異なり、貨物列車運行の拠点となっていた関係で広大な構内を持っていたことが、雰囲気が変わらない大きな要因と思われます。