※鉄道博物館公式Facebookにて2020年7月14日に投稿された内容となります。
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130年の歴史のなかで 常磐線は何度か大きな事故、事件の 現場になりました
戦時中の土浦駅での多重衝突事故、1949(昭和24)年7月の下山事件、1961(昭和36)年12月の東海駅での急行列車の脱線・転覆事故、そして1962(昭和37)年5月の三河島事故です。この多重衝突事故は、死者160名、負傷者296名を出す惨事となりましたが、被害が大きくなった主因は最初に脱線した貨物列車ではなく、その数分後に上下の国電が脱線現場に停車できずに突っ込んだことにありました。このため、列車異常時に当該列車から周辺の接近列車に停止を促す装置の必要性が叫ばれ、まずは事故の当該線区である常磐線国電区間で試用することになり、「常磐線列車無線」と称されるようになりました。 常磐線列車無線は、防護無線(無線発信により受信した周囲の列車に停止手配をとらせる装置)と、通話用無線機とを一基ずつ搭載するもので、1964(昭和39)年11月から搭載が始まり、1966(昭和41)年3月から使用が開始されました。三河島事故をきっかけに開発された常磐線列車無線は、常磐線国電区間を走行する可能性のあるすべての車両を対象として設置されたのです。 その後、国鉄では防護無線・通話機能を持つ全国統一の列車無線が導入されることになり、国鉄最後のダイヤ改正となった1986(昭和61)年11月から使用を開始し、常磐線列車無線はその役割を終えました。常磐線は重大事故の発生をきっかけとして、過密なダイヤのなかで列車の安全な運行を確保するため、他路線に先駆けて専用の列車無線が開発され、早期に導入されていたのです。