※鉄道博物館公式Facebookにて2020年5月10日に投稿された内容となります。
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企画展「全線運転再開記念 常磐線展」に ちなみ、これまで展示内容を紹介してきましたが 今回は常磐線にまつわる不思議をたどります。
素朴な疑問ですが、常磐線はなぜ「常磐本線」ではないのでしょうか?
常磐線の日暮里~岩沼間は343.7㎞の距離(全線運転再開後の営業キロ)があり、国鉄・JRの「本線」のつかない路線のなかでは最長距離の路線です。長距離都市間輸送を担い、かつては北海道連絡のメインルートとして幹線機能を果たしていたことを考え合わせると、「常磐本線」とならなかったことが不思議に思えます。
ちなみに「本線」のつく路線で常磐線より短い路線は多くあり、最短はJR北海道の留萌本線で、50.1㎞(深川~留萌間、2016年12月の留萌~増毛間廃止前は66.8㎞で、それ以前はJR九州の筑豊本線が66.1㎞で最短)と常磐線の約1/7の距離です。本線と本線のつかない路線は距離を基準に分けられているわけではないことが分かりますね。
常磐線Historyの1回目でもご紹介しましたが、常磐線は明治期の大私鉄・日本鉄道が建設した路線で、内陸部に建設された本線(現在の東北本線)に対して、太平洋岸沿いに建設された支線(バイパス路線)という位置づけにありました。その後、1906~07年にかけて鉄道国有法によって、日本鉄道をはじめとする私鉄路線が国有化され、国有鉄道の路線延長はそれまでの約4倍に膨れ上がります。これによって増大した国有鉄道路線の線路名称を整理しようと、1909年に「国有鉄道線路名称」という規程を定めた際に、“線群”という考え方が採り入れられ、東海道本線、山陽本線といった本線とそれに付属する複数の支線を、ひとつのグループ(線群)にまとめて整理したのです。
これによって日本鉄道が建設・運営した路線群は、東北線を本線としてそれ以外は同線の支線扱いとし、常磐線をはじめとして高崎線、両毛線、水戸線、日光線などが「○○線」とされました。こうしたいきさつによって常磐線は本線を名乗る機会を失ってしまったわけです。
とはいえ、路線距離やその機能からも実質的には本線と称しても差し支えのない路線であることは確かで、「名は体を現す」と言いますが、常磐線は「名は体を現さない」路線の筆頭と言えるかもしれません。